Trans

NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

ボランティアは自分のためにやればいい。

声を大にして言っておきたい。ボランティアは自己研鑽の場所だ、と。

TRANS - ■[NPO]ボランティアを受け入れる側の事情。
それ以前に、ボランティアをやって社会勉強をしようと提言している人たちに一言言っておきたい。受け入れる側の苦労を知ってる?もし、知っているのなら、せめて多少でもいいから費用を負担してくれ。こっちだってその時間の人件費もろもろかかっているんだから。

以前にこういうふうに書いたのだが、これはボランティアを受け入れる側の事情であって、それはあくまで一つの事象の一つの側面に過ぎない。また、上記の記事はあくまで高校生がサボったという特殊な事情であって、実は大半のやる気があるボランティアの人たちは本当によくやってくれている。


ただし、ボランティアも長い期間続く人と続かない人がいる。その違いは一体何なのか?


これは一概には言えない(なんじゃそりゃ)。ただ、普段僕が思っていることは、社会貢献のためにやるという人と、面白いからやっている人と区別するならば、後者のほうが長続きしている気がする。


たぶん、社会貢献のためだ!っていう人は、すぐに精神的に疲れてくる。「なんで、こんな時間使わなきゃいけないんだ」とか、「しんどいし、もういっか」とか思ったりする。ボランティアの現場も常に社会貢献のために!っていう雰囲気ではないし、日々のほとんどの活動は大して会社と変わらなかったりする。それこそ、事務作業が多かったり、予算が足りなくてウンウン悩んだり、などなど。会社とは違う、そんな社会貢献的なものを目指してきた人たちは、結構理想と現実の狭間というやつに見事にはまり、がっかりしながら、去っていくことがある。


しかし、後者の「面白いからやる」という人たちは、動機が不純かもしれないが、結構長続きしたりする。この「面白い」というのを厳密に言うと、「会社や学校では学べない何かがある」とか、「社会に対して新しい視点や知識を身に付けられる」といったように、非常に自己を主体とした意識である。その過程で、貪欲に活動し、どんどん新しいものを学んでいく。


そのため、「ボランティアは自分の為にやっているんだ」と堂々と言えるようになる。だから、少々忙しかろうが、疲れていようが、「いやいや、今回も参加したら、何かを学べるかもしれない」と思える。そして、意外に長い期間続くことがある。


そして、辞めるときはあっさりしている。「新しく学ぶことがなくなった」それだけである。けれど、元々無報償で来てくれている人を引き止めることなんてできない。僕たちも、「今までありがとう」と言えるのが精一杯である。そして、何より僕達はその人が来てくれることによって、なにかしら新しいものを組織の中に入れることが出来る。そして、そのボランティア本人もその感謝の気持ちもさながら、その人は間違いなく新しい何かを身に付けただろう。