だから、私が本当にGoogleに対して帽子を脱ぐのは、Googleがその取締役会そのものをシステム化、しかもウェットウェア抜きの、ハードウェア(hardware)とソフトウェア(software)だけからなる「ドライ」(dry)化を果たした時である。もしそのシステム自身にBrinとPageが逝ってよしと言われたら、その時は私が彼らにビールをおごらせてもらおう。もっともそれまでGoogle自身と私に寿命が残っていたらのお話だが。
この文章を読むと、何故か映画の「ターミネーター」や「マトリックス」を思い出しちゃうのは、僕だけだろうか?
もちろん、半分はネタなんだけど。