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NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

キャプションをオンラインに根付かせるために。(日本語訳)

Webアクセシビリティというものは今やよく知られるようになった。また、Webアプリケーションもかなりアクセシブルになってきている。徐々にWebアプリケーションのアクセシビリティも一般的になりつつある。よくやったものだ。

しかし、仕様がはじめて求めてからほぼ10年間、オンラインキャプションはほとんど浸透していない。たぶんこの状況は政府の規制によって変わっていくだろう。

政府の規制とは思いも寄らなかっただろうか。仮にそうなったとしても、ほとんどオールドメディアがいない自由主義者の場所だとWebを見るだろうか。驚かないでほしい。規制はすぐそこまで来ている。その上、その規制がオープンな標準技術を用いるのであれば、その動きを支援するべきだ。

キャプションは必要だ。ただし、現実的には…。

A List Apartを読んでいれば、聴覚障害や難聴のユーザのためにWebアクセシビリティの仕様がマルチメディアにキャプションをつけるように求めていることを知っていると思う。WCAG1(またはsamurai correction)、WCAG2Section 508、全て同じだ。オンラインのビデオにキャプションを付けねばならない。

いくつかの仕様においては音声転写でも構わないとしているが、短くシンプルなビデオ以外は使いものにならない。ほかの仕様では手話も認めているものもあるが、"Deafness and the User Experience"(訳者注:日本語訳)にもかかわらず、マイノリティーの中のマイノリティーに対してしかアクセシブルにすることができない

クローズドキャプションは解決ではなく問題なのだ。

オンラインキャプション。インターネットプロトコルによって届けられる全てのもの、iPodにダウンロードされたものも含め、これをオンラインキャプションと定義づけてみよう。しかし、オンラインキャプションなるものはほとんど存在していないとクローズドキャプションの陣営は主張している。言い換えれば、キャプションを自分でつけなければならないからだ。これは、みんなのために1つのチャンネルが働くというテレビ放送の時代からの失敗の遺産である。これが放送業者の意図の裏に隠されたキャプションの理由なのだ。

しかし、放送業者のクローズドキャプションがオンラインの世界でもうまくいくという証拠は全くない。オンラインの世界ではみんなが自分の好きなようにさまざまな種類のビデオを選べるからだ。耳がよく聞こえる人たちからキャプションを隠すためにクローズドキャプションは存在するのであって、キャプションを必要としたり、オフにしたことがない人たちにキャプションを提供するためではないのだ。

Closecaptioningはそれなりにはよく知られている(訳者注:今までの言葉がクローズドキャプション、こちらはクローズキャプショニング)。5年以上キャプションに携わっている人たちは何らかの形でクローズドキャプションに携わったことがあるはずだ。それから、オンラインビデオのためのいくつかのクローズドキャプションの仕組みを活気付けるために、この仕事に従事する人たちは全力で試行錯誤している。みんな、よく知られているものだ。

4つの有名なオンラインビデオの種類(QuickTime、Windows Media、RealPlayer、それらを全部食べてしまったFlash) は1つ・複数・普通はいくつかの方法でクローズドキャプションを技術的にサポートしている。そのため、どのビデオフォーマットもそれぞれ特有のクローズドキャプションを必要とする。もしBBCのようなビデオをiPlayerやほかのプラットフォームのためのフォーマットに変換するとして、これを考えてみよう。手持ちのキャプションのフォーマットも変換する必要があるだろう。簡単に聞こえただろうか?「なぜなら単なるテキストだから」。しかし、そう簡単ではないのだ。

  • Unicode文字のエンコーディングに頼ることはできない。システム自体のエンコーディングを優先するようになっているかもしれない。もしくは、テキストファイルのエンコーディングに頼るかもしれない。単に1つの宣言だけではよくないかもしれない。ベストを願うばかりだ。
  • キャプションの位置はいつも同じわけではない。はたまたプラットフォームを越えていくつかの方法でサポートされているかもしれない。(例えば、RealPlayerではキャプションが右揃えをしない。)なぜキャプションの位置が揃わないのか、今の僕たちには分からない。(イギリスのキャプショナーはすべてのキャプションを画面下の中央ででほとんど合わせる。)色についても位置と同じようにサポートされているわけではない。
  • フォントもキャプションでどこだってバラバラだ。しかし、モノスペースのフォント(例えば、アナログTVのキャプションシステム)を採用しているキャプションのソースはプロポーショナルなフォントに変換したときに、認識できないような形に壊れてしまう。Arialのようなあまり先端的ではないフォントであってもだ。(キャプションの先頭にいくつもの小さな空白文字を入力して、キャプションを中央寄せにしたことはあるだろうか?これらのスペースは崩壊の原因になる。)

オンラインビデオのクローズドキャプションは2つまたはそれ以上の数のファイルを原則的に要求する。ビデオファイル、キャプションファイル、そしてその2つのファイルを関連させるためのファイルがたぶん三つ目だ。離婚しないような本当に幸せな核家族かとそのファイルを見て自問するのだろうか?

プレーヤーはどうだろうか?みんなはキャプションのオンやオフにどうやってやっているのだろう?マウスでしか操作できないのだが、YouTubeのテクニック(下を見てほしい)は悪くはない。(一般的には忘れられている)UAAGや一般常識に反するようなこのインターフェースは正確には不完全であり、アクセシブルでもなく、テストもされていないデザインであって、すべてのプレーヤーに期待できるようなものではない。

今まで述べたきたことがオンラインビデオのクローズドキャプションに対する問題の一部である。しかし、キャプションの問題を指摘するふりをしている人たちはこの道を大急ぎで走っていく。一般的なアプローチにおいてクローズドキャプションはオンラインビデオではうまくいかないと私は何年も言っている。このことを伝えるのが私だけになって、みんなが私の言っていることにうんざりしたとしても、それが正しかったことがいずれは分かるはずだ。

代替策はないのだろうか。オープンキャプション、みんなが見えるキャプションだ。キャプションされたビデオとキャプションが入っていないビデオ、2つのファイルを用意する。1つを選び、作業できる。タイポグラフィの問題はより重要になる。動画を検索できるようにするための外部ファイルを用意する。しかし、オープンキャプションはそこで正しく、面倒もなくうまくいく。

ボランタリーなアプローチ

これまでオンラインキャプションは厳密には自主的なものだった。では、どうすればオンラインキャプションはうまくいくようになるだろうか?あまりうまくいっていないのだ。オンラインキャプションは事実上存在しておらず、問題を改善するための唯一の試みがうまくいっていない。

もちろん、GoogleYouTubeがキャプションをサポートすることを表明したという喜ばしいニュースもある。私たちはみなこのニュースに拍手喝采を送っている。しかし、事実、YouTubeが改善されることで、キャプションと字幕の混乱は揺るぎないものになってしまった。YouTubeが作った説明用ビデオはキャプションと字幕をまぜこぜにして、正確に区別しようとしていない。(また、手話を使えない人に対して手話をアクセシブルにする方法は字幕を入れることだけだとこのビデオは宣伝してしまっている。視覚障害者は手話が見えないし、字幕も読めないのだ。)

実際にはYouTubeのプレゼンテーションフォーマットは字幕を下の中央にタイトルをつける、典型的に2行が限度だ。(でも、たまに4行でも表示される)そして、タイポグラフィがあまりに考慮されていない数多くのケースの1つでもある。白色のHelvetica、もしくはArialで黒色のマスクが読めることを期待するしかない。

今と昔を結ぶGoogleビデオのキャプションのサポートについてのYouTubeのアナウンスも十分ではない。(2006年に出たAOLからのアナウンスをみんなが忘れてしまっているようになるのではないか)1年経ってGoogle Videoでキャプションがつけられたのはまだたった100の動画だ。そのうちのいくつかは単なる字幕であり、キャプションではない。これはいかなる基準で評価したとしても失敗である。キャプションは検索できるとYouTubeのキャプションのページにははっきりと書かれているが、キャプションがついたすべてのビデオをYouTube上で検索できない。だから、本当はいくつのビデオがあるかを知っている人はいるのだろうか。十中八九、そんな人はいないだろう。

キャプションを検索できるという仕掛けは重要だ。まず、アクセシビリティのためにGoogleはキャプションを追加した。しかし、本当の理由はビデオを検索可能なものにすることなのだ。Google Videoとしては時間を記した音声転写をアップしてほしい。すると、限られたスピーチを認識するサービスをこれとは別にローンチできる。私もすべてを検索できるようになってほしいが、もう少し誠実さがあってもよいのではないか。聴覚障害者を助けるためではなく、ビジネス上の理由でGoogleはそのほとんどを行動している。(そして、今、Googleはみんなのためにキャプションを機械翻訳すらしてくれようとしている。機械翻訳はほかのどこでも同じよにうにうまくはいかないだろう。)

YouTubeのアナウンスで5000のフリーなキャプションのビデオを持つSubPLYやこの分野におけるほかのスタートアップ(DotSUBTubeCaptionなど)をいくつかの理由のためにTechCrunchは後援した。TechCrunchのアナウンスで取り上げられたスタートアップは現実的な字幕のためであるが、これもまた混乱であった。そして、そしてその結果も大したことはなかった。右上のボタンのせいで読みにくい2つのキャプションが挿入されるだけだ。

自主的なクローズドキャプションのシステムの多様性をGoogleは改善もした。もちろんうまくいっていないし、今までもうまくいったこともない。

法的なアプローチ

オンラインビデオにキャプションを求めるような法律や規制が可決されるかもしれない。

  • 将来予測できる範囲では米国では何も変わらないだろう。障害を持つアメリカ人法(最近改正された)に対する規制は、映画館やスタジアムにおけるキャプションを含むことまで広げられるかもしれない。しかし、そこまでだ。オンラインのアクセシビリティに広げるための草案(PDF)がまさしくこのことなのだ。法律である。
  • カナダでは、あまり知られていないが、CRTCによって2008年11月に放送の規制における重要な公聴会が開催された。その場では、なぜ放送業者のWebサイトがW3Cに準拠されていないのかを立証するように指摘している。これは意味があることになり得る。ただし、オンラインビデオにキャプションがつけられるだろうということは確実だ。ほかの議論もされている、オンラインキャプションを求めるいろいろな議論があった。これは始まりであろう。だから、CRTCが放送を規制するために強化されるような法律はインターネットに適用されない。しかし、別の公聴会が開かれたあと、それは変わるかもしれない。
  • しかし、カナダの機関(Charter of Rights and Freedoms)やCanadian Human Rights Actはおそらくほかの法律制定から取って代わってしまう。要するに、差別から自由になる障害者の権利は信頼に値する切り札なのだが、当てにならない。インターネットは規制できないし、するべきでもない。
  • さらに、オンタリオ州における規制は大企業やグローバル企業がやっていビジネスを全てキャプションするように無意識に求めてしまうかもしれない。
  • オーストラリアでは、遅れに遅れて上院がキャプションに対する調査を進めているかもしれないし、進めていないかもしれないが、上院の審議文書では明確にオンラインキャプションを求めている。全ての番組をちゃんとキャプションしていなかった見返りとして、オーストラリアのテレビ放送業者に課せられていた起訴の期限切れのあとというタイミングが出来すぎている。3つのうちの1つが起こるだろう。何も起こらない、新しい法律、キャプションに対する見返りとしてのほかの権利免除。

カナダやオーストラリアのケースは重要だ。一度どちらか、またはどちらもの民主主義国家がオンラインキャプションを求めれば、ドミノのように一気に倒れる。アメリカでもその影響はあるだろうが、もちろんMotion Picture Association of AmericaやNational Association of Broadcastersはどのキャプションの要求とも争うだろう。しかし、カナダやオーストラリアもまた英語を話すので、そのキャプションを求める声はアメリカでも聞こえるようになるだろう。カナダやオーストラリアではキャプション付きのビデオを提供し、アメリカでは同じビデオをキャプションなしで提供するのは実際には不可能になる。最初にたった一つビデオを手に入れている。それがクローズドキャプションに取り組んだ理由だ。

誰が標準を書いているのか。

オンラインビデオの標準化に関する全体の問題をどのように解決しようとしているのか。答えは、その解決のプロセスから何かを得られる組織が新しい標準化の指令をすることによって、である。

はじめに技術がある。その同意という問題がある。大まかに言うと、オンラインキャプションに対する技術的な標準は解決している。十分なドキュメントはないし標準もまた質がよくないかもしれないが、確立されてはいる。

それより問題なのは方法論である。あなたはどれくらい正確にキャプションを作れるだろうか。30年間、この問題は意見が分かれ、何も生み出してこなかった。私にはちょっとした固定観念がある。いくつかの家族経営のキャプショナーはその場に応じて何とかやっている。その反対側で、委員会における無意味な対立するイデオロギーというのもあるのだが、どちらも事実には基づいていない。

致命的に難しいのだ。私の時でさえ、馬鹿馬鹿しいアイディアを完全にぬぐい去るために、尻ぬぐいをするための3フィートもの参考資料や調査報告を持っていた。しかし、結局は誰もキャプションの方法を知らないのだ。その代わり、みんな、自分のやり方が一番だと主張する。本質的に、聴覚障害者に対するビデオアクセシビリティは意見に基づいている。しばしば下手な正当化をされ、仮に正当化されたとしても、熱烈に歓迎される。こんな状況全てが広い意味でキャプションサックスという理由なのだ。

今もなお誰が標準を描いているのか。

  • カナダではCRTCが何とか形を作った。Canadian Association of Broadcasters(CAB)と交渉をして、カナダ人のキャプションのためにもう1つの標準と呼ばれるものを作った。完全に秘密裏で。著者たちはキャプションの専門家ではない。(何人かは聴覚障害者である。ただ、そのことが問題かのように、キャプションの標準に失敗した著者も1人入っている)その標準はユーザテストもされないだろう。これは、CABが以前挑戦(PDF)し、散々な結果を招いたものと同じようなことだ。2008年11月の公聴会までに全体のことは実行されないだろう。
  • 行間を読むと、CRTCは放送業者、たぶんネットの事業者にもに強制し、規制することを主張する産業によって書かれたような標準を使うように計画している。自主規制の産業は2008年の最大の物語の1つだ。ニュースはCRTCに届き損ねたらしい。自主規制は大型融資においてと同じようにキャプションにもよく働くだろう。違いはどれくらいのお金が動くかくらいだ。
  • アメリカでは、Google、Yahoo、AOLやMicrosoftがインターネットのキャプションのフォーラムの設立を表明した。そのアナウンスをブログで読んだ人もいるだろう。ブログ以外で読んだかもしれない。この事実のようにWGBHと4つの会社が共同することを訴えているが、WGBHはプロジェクトを本来運営するのだろうか。
  • WGBHはボストンの公共放送局だ。WGBHはアメリカのテレビでもっとも早くオープンキャプションをし、30年間ずっとキャプションもしている。私は心から応援していた(1970年代にWGBHにタイプライターで打った手紙を送っていた)、そしてその作業工程に何度も訪れたこともある。しかし、WGBHのメインのキャプション業務を閉鎖するという特にそのバカらしい決定は私の自信を揺るがした。WGBHは封切の映画のキャプションのための技術に投資した、そしてオンラインキャプションで多くの仕事を成し遂げた。CABのようにWGBHは秘密裏に動いた。そしてその道はすべてWGBHにつながっている。
    • 利害関係を調整し、AOLのアクセシビリティマネジャーは以前WGBHで働いていたことがある。だから、このフォーラムはWGBHの生粋の業務なのである。公式のURLのInternetCCForum.orgでさえ、WGBHにリダイレクトされるのだ。そして、Mozillaそのキャプションの問題の解決策を探している場所はどこだろうか?もちろん、WGBHだ。
    • 非営利のWGBHはキャプションマーケットでは活発的な競合なのだ。これはお金の問題だということだ。例えば、シンプソンのテレビをアメリカかカナダで見るとすると、それはWGBHのキャプションを見ているということなのだ。偶然の一致ではないが、YouTubeが提案したキャプションのサービス提供者のリストの一番目がWGBHである。
    • WGBHはYouTubeでは動いておらず、PDAにおけるキャプションの調査のために(航空機と)すでにアメリカ連邦の交付金を手に入れている。最近のニュースレターでは、フォントやほかのトピックの好みのためのユーザテストというテーマが扱われていた。HDTVのフォントにおける平均以下の調査を発表した組織と同じなので、PDAユーザがArialやCourierのどちらかを問われることを私は少し期待している。

どのようにすれば全部うまくいくのだろうか?キャプションのように複雑なコミュニケーションメディアのための標準を策定するのが秘密裏に行われてよいのだろうか?私はそうは思わない。

法律の出番

放送業者やインターネットの巨人たちは内部で完結させることを選ぶ。もしそれが難しければ、自分たちが予測できる結末を望むものだ。彼らは失敗だと証明されるような脆弱なシステムを望んでおり、その間に自分たちで解決してしまおうとしているように見える。

キャプションの量を増やすたった1つの効果的な方法は現実的には兆しが見えている。その方法は現実に勝ちを掴むために法的な力を使うことだ。それ以外はうまくいっていない。

キャプションはオンラインアクセシビリティの月面における巨大な噴火口だ。Webアクセシビリティをサポートし、アクセシビリティとは視覚障害者だけのものではないのであれば、オンラインキャプションをサポートする必要がある。たぶんほかにもやるべきことはあるだろうが、今それを話すことはない。

単なる公正さやWebはアクセシブルになり得るという技術的事実を超え、オンラインコンテンツをアクセシブルにするという本質的な理由がある。それは障害を持つ人たちが権利を持っており、その権利を真実だと証明することに必要な基準にも賛同する必要がある。多くの国で放送業者はすでに規制されており、キャプションを提供しなければならない。映画館のオペレーターも少しはやっているところもある。

本質的に、私たちがアクセシブルにするものは動く画像、つまりフィルムやテレビ、ビデオだ。スクリーンキャストのようなほかのものかもしれない。しかし、根本において配信方法は問題ではないべきだ。

聴覚障害を持つ人がキャプションと共にテレビやビデオを見る権利があるとする、その人はキャプションがついたオンラインビデオも見る権利があるということだ。自発的なアプローチでビデオをアクセシブルにすれば利用可能というわけではないのだ。法律や権利規制は必要でもあり、不可避でもある。あなたはそれらを支持するべきなのだ。

この状況がインターネット全体に対する規制のドアを開くことになるだろうか。たぶんそうはならない。もしくは少なくともみんなが心配するような事態ではないだろう。存在する法的な制約の中ではまだ何を公開してもよいのだ(インターネットは既に規制されている)。単にいくつか、もしくは全てのビデオをキャプションしなければならないということなのだ。もう一度言う。私はあなたにこれを支持してほしい。

勝ち負けのお金を持つ関係者だけでいつの間にか秘密裏に技術的仕様もキャプションの方法も決定されるべきではない。産業界による既成事実がまかり通ってしまう前に、「標準」に基礎を置いたキャプションを法的に作ることが解決策の1つである。オンラインアクセシビリティの政府の規制は標準に準拠したオープンな形に基づくべきだ。

もし、これでダメなら代替策はあるだろうか?ほかにまともにできそうなことは?

実行しよう

  • CRTCのヒアリングのページアクセシビリティについてコメントを送ろう(それがどのようなものかを指摘するとさらによい。このコンタクトリストにメールを送ってみよう、Sylvie Bouffardへ。もしくはメインのコンタクトフォームを使おう。)2008年の冬前にやっておくともっとよいのだが、このプロセスは早くても2009年1月12日までは決定されないだろう。
  • もし以下のことに賛同してくれるのでれば、少なくともオンラインビデオのいくつかの種類はキャプションされるべきだという考えをCRTCに伝えよう。その上でキャプションはオープンな標準に基づいた方法で作られたものであること。
  • 私や私の研究プロジェクトのOpen & Closed Projectを明確に支持してほしいとは頼まない。30年以上のような長い期間、大打撃を与えようとする放送業者によって書かれた標準などは考えていないとCRTCに伝えてほしい。もちろん、それを信じてくれればだ。そしてほかの何かを信じるのであれば、代わりにこう言おう。一歩進むためにはカナダにいるべきではない。
  • 独立したアクセシビリティ・アドボカシーグループのMedia Access Australiaはオーストラリアの審議文章へネットで素早くレス(PDF)を送ってくれた。このステップはオーストラリアの住民たちにとってかなり大きな意味をなす。
  • 今、ここにとても重要なことがある。もし誰かが訴訟すると、アメリカで起こるかもしれないことだ。障害を持つアメリカ人法においていくつかのコンテンツプロバイダーに対して、キャプションされていないビデオの数は差別ではないかと1人か複数の聴覚障害者に訴訟させる必要がある(できれば集団訴訟で)。
  • 少なくとも、異なる形式の表現のために(テレビやホームビデオなど)前もってキャプションされた動くオンラインの画像もキャプションされるべきだという事例にされるべきだ。
  • 失敗を運命づけられていると考えるべきではない。神ではなくお金持ちの会社に異を唱えているだけなのだ。有名スタジオはDVDキャプションにおける集団訴訟に対して和解した(素晴らしい和解でもないが、何もしないよりははるかにマシだ)。そしてAppleアクセシビリティを改善した。現実的に政府や視覚障害者のグループからの訴訟を避けたのだ。

動くときだ。

自発的なオンラインキャプションはうまくいっていないし、今後もうまくいくことはないだろう。オンラインにキャプションを持ち込む唯一の方法は、それを義務にすることだ。そしてキャプションははじめからいくつかの産業が牛耳っているのではなく、オープンに開発された標準に従ってなされるべきものである。

訳者より一言

アクセシビリティを学ぶ人であれば、ビデオにキャプションをつけないとならないというガイドラインをどこかで一度は見たことがあるはずです。僕もその一人ですが、そういうビデオを実際に見たことがある人、そしてつけたことがある人は皆無なのはないでしょうか。

また、当記事でも触れているボランタリーな仕組みに頼ってどこまでうまくいくのかという問題はあります(そういえば日本の一部のアニメが字幕付きでYouTubeなどで流出してることありますけど、海外で販売されていないようなタイトルは誰かがボランタリーにやってるんですかね)。

訳しながらいろいろと考えてみたんですけど、確かに政府の規制+オープンな環境における標準の仕様の議論という以外に解決策が思いつかず。うーん、でもその仕組みって果たしてちゃんと動くんだろうかと疑問に思ったり。

にしてもちゃんと読みたかった記事だから後悔はしていないですけど、長すぎ+予備知識の量が半端じゃない...疲れた。