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NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

寄付2.0を考える材料

まだ寄付2.0なるものはもちろん分からないわけだけれど(寄付1.0すら曖昧だが)、それを考えるための材料はある。


まず、第1に、ホワイトバンドの時も、今回の臓器移植の問題でも、結局は寄付をしてもらっているNPOの情報公開が甘かった。それで、詐欺だと言われても、確かに仕方がないかもしれない。


第2に、さくらちゃんの寄付のやり方で共感できるのは、「さくらちゃんが可哀想だから、寄付してよ」という方法論。寄付を集めるという一点においても、集まりやすい寄付と集まりにくい寄付がある。


例えば、国境なき医師団のような国際協力や紛争解決のNPOや財団法人は比較的には募金を集めやすい。(フォスタープランやピースウィングなど)一方、障害者や高齢者支援などのNPOは集めにくい。言い方は悪いのは分かっているが、たぶん、「可哀想な戦争地帯の子どもたちの写真を前面に押し出すことにより、同情を引ける」というのがあるがないか。それを見て、一部の人が「これは問題だ。解決しないといけない」と思う。これで寄付が発生する。その意味では、「可哀想なさくらちゃん」という図式は非常に分かりやすい。


そして、第3に、寄付をしたら、それで問題が解決する、もしくはある程度問題が緩和するということにならないと、寄付を継続的に集めることはできない。ホワイトバンドの時は完全に流行になってしまったので(これを狙ってやれるのなら、それこそ寄付2.0のような気もするが)、「なぜ、寄付を集めるのか。それは一体何を解決しようとしているのか」という視点は曖昧なものになってしまった。


いくら寄付をしても一向に解決しない問題というのは確かにある。そうすると、寄付をしている側の人たちが「解決しないなら、寄付してもしょうがない」という寄付疲れになってしまうリスクがある。この意味では、

煩悩是道場 - NPOの情報開示責任もしくは募金募金2.0
NPOの活動資金が募金に一定以上頼らざるを得ない以上「具体的な何か」を提示したわかりやすさが必要であるように思います。

全く同感。ただ、その方法としてできる分野とできない分野がある。街づくりなどは寄付を受けて、「街並みがこういうふうに変わりました!」と言えるかもしれないが、障害者の介護や外出支援などは結果として分かりづらい。何かが変わることよりも、継続することが大事なわけだから。


僕が知っている事例としてうまいなと思うのは、フォスタープラン。寄付をすることにより、自分たちが寄付をして、その対象となる途上国の子どもたちがどういう人なのか、そして彼らから手紙が届くということ。自分が寄付をして、何を達成しようとしているのかが分かるようになるからだ。


最後に1つ。寄付を集めるのに、もっと違ったやり方があるのではないか、という考え方。それを考える上で、大事なのがクリック募金というもの。今は多少下火になりつつあるのかもしれないが、数年前はありとあらゆるところに、「クリックで救える命がある」というバナー広告を見たことがある人も多いと思う。こういったやり方をうまく使えないか、ということ。(日本で有名な会社は、DFFという会社)この会社も今ならバナーを配るだけではなく、もっとWeb2.0的な方法もあるように思うのだが。


下書きみたいな半端なエントリーだけれど、最近はこのあたりから、寄付2.0なるものをたまに考えている。