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NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

やりたいこと、楽しいこと、できること。

たぶん、小中学校くらいまで一番大事にしていた価値観は「楽しいこと」だった。それが、スポーツだったり、ゲームだったり、友達と遊ぶことだったり。大学に入ってからは、「やりたいこと」を探すようになった。自分の将来やキャリアプラニングなどを模索するようになった。


今、一番大事なことは「できること」だと思うようになった。「楽しいこと」だけでは食っていけないかもしれないし、「やりたいこと」だけでは社会との接点を失ったりするかもしれないし。というより、「楽しいこと」や「やりたいこと」=「自分ができること」ではないと思うようになった。


例えば、こんなすげえプログラムが入ったホームページを作ったら、みんな楽しんでくれるんじゃないかなと思ったとする。でも、そのためにはかなりプログラミングの知識や経験、要は技術を持っていないといけない。しかし、自分はそこまでのレベルにはまだない。だから、そのへんの機能はちょっと我慢するとか。


やりたいことや楽しいことは頭の中に明確にイメージできていても、それがすぐに実現できるほどの力はない。つまり、「できること」ではない。そうやって、人間っていろんなものを諦めていくのかなと思ったりもした。


でも、残念ながら、自分という人間はそんな簡単に諦めきれるほど柔な人間でもなさそうだ。NPOの愚痴やら何やらは、ちょくちょくブログに書いているけれど、会社辞めてこっちの世界に来たのは、やはり自分がやりたいこと、楽しいことをやるためだった。しかし、いかんせん実力が伴っていない。


だからこそ、今「できること」をやろうと思う。その「できること」はまだまだ社会一般から見ればレベルが低いことかもしれないし、それほどの意義があることではないかもしれない。でも、それを楽観的に見て、その「できること」がいずれは自分の「やりたいこと」につながっていくものだと確信している。


その上で、その「できること」は「楽しいこと」ではないといけないと思う。四六時中頭を悩ませても、楽しいこと。それをやるためなら、徹夜を無視できるほどはまってしまうもの。


そうこう考えていると、今自分が「できること」の根っこは、やはりそれが「楽しいこと」であり、その「できること」を少しずつ伸ばしていくと、それが「やりたいこと」につながるのだとボンヤリと結論が出てきた。要は、「やりたいこと」、「できること」、「楽しいこと」というのは1本の直線でつながっているような状態なのだと思う。


学生時代は、そういう発想がなかったなと思う。それら3つがバラバラに位置していて、シンクロしていない状態。でも、今はそれら3つがシンクロしてこそ、意味があるのだと思い始めた。


というわけで、今は「できること」を少しずつでも。否、早く「できること」を増やしていきたい。ウダウダ悩んでいる暇なんてものはない。動いたほうが絶対いい。今、自分が「できること」を突き詰めてやっていけば、「やりたいこと」も「楽しいこと」も一緒に手に入るはずなのだから。