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神戸のNPOやソーシャルビジネスの創業・起業のお手伝い

他人の介護、身内の介護

ホームヘルパーを持っている人たちと介護について話し合う機会があった。僕自身はホームヘルパーを持っていないのだが、障害を持つ人との付き合いもあり、そのへんのことは一通り独学している。もちろん、実践も行う。


その話題の中で、身内と他人の介護の違いというのがあった。ヘルパーを取得する人の中には、自分の仕事のためという人もいるし、自分の身内(特に、両親)に介護が必要になったので、その必要性に迫られて取得するという人もいる。ちなみに、去年僕の祖父が亡くなったが、祖父には様々な面で介護が必要であり、そのため僕の母親はホームヘルパーを取得した。


さて、話を戻す。身内と他人の介護は違うという話である。


結論だけ先に述べてしまうと、身内の介護は感情的に踏み込めない部分があるが、他人の介護は割合簡単にできるというもの。それは、どういうことか。


ヘルパーの人が言うには、ある意味他人の介護というのは「ビジネスライク」な関係である。一方、身内の介助にはいろんな感情が入ってしまって、ちゃんとできないということらしい。


僕は身内の介助は経験したことがないが、障害を持つ友人や知人の介助はよく手伝う。全身に障害がある場合は、トイレから着替え、食事も。トイレの場合はオムツを換える(具体的な手順を話すと、車椅子からお姫様だっこで下ろし、ズボンとパンツを脱がせ、オムツを取り替える。もちろん、相手の○○○は丸見えである)。


こういうトイレの場合にも、特に感情が入ることはない。例えば、相手の○○○が見えて気分を害したとか、小便が臭い、などなど。もちろん初体験の時は驚いたものだけど、いざ慣れてしまうと、特に思うことはない。要は、ビジネスライクなのだ。必要だから、やる。単に、それだけ。


でも、相手が身内だと、そういうわけにはいかないのだろう。めちゃくちゃ知っている相手。ヘルパーの深層的な意識にも、「今までできて当たり前だったこと」をやってあげないといけないという相手への同情的な心理もあるんじゃないかなとも思う。


ただ、ここまでは実は一般論。今まで書いてきたケースとは正反対の場合もある。それは、先天性の障害を持つ人の母親の場合である。これも一概には言えないのだけど、そういった母親は障害を持つ子を自分ひとりで一から育て上げ(障害を持たない子どもを育てるのとは違う大変さがあると思う)、そのうち「過保護」になり、子どものことは私が全て面倒を見る、という発想になってしまうことが多い。


そのため、身内の介護、この場合は子どもの介護は、他人に任せられない。全部、自分がやるという発想になる。かといって、それは他人の介助も気楽に手伝えるということではない。つまり、今まで書いてきたケースと全く逆の、身内の介助は問題ない、他人の介助はちょっとなあー、となる。


と、まあヘルパーの人たちと話して、こういうことを学ばせてもらいました。他人の介護をするというのと身内の介護をするというのは、同じ行動でありながら、意識的な面、介護をする人の立場なんかで、微妙な心理的な違いがあるのである。


ちなみに、身内の介護をするという意味では、下記のサイトなんかが役立つ。
JANJAN:コラム・男一匹泣き笑い介護奮戦記