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神戸のNPOやソーシャルビジネスの創業・起業のお手伝い

寄付という行為。

日記

もし、あなたが何かの社会的な問題に強烈な関心を持ったとする。そのときには、ぜひ寄付という「行為」を選択肢の中に入れてほしい。

livedoor ニュース - 心臓病女児募金活動に ネット上で批判噴出
心臓病に侵された女の子への救済募金をめぐって、2ちゃんねるなどの掲示版が「祭り」状態になっている。手術などに必要な1億3,600億円を目標に、両親と有志が募金活動を始めたが、両親がNHKに勤務していることなどを理由に「高給取りなのに何故自腹を切らないのか」といった批判が噴出したのだ。矛先は他の募金活動にも向けられ、募金という活動そのものの透明性に疑いの目が向けられている。

こういった問題はNPOの現場にいて、何かしらの発言ができるなと思いながらも、議論の流れを追っている時間がなく、そのまま放置していたのだが、やはりコメントくらいは残しておくべきかなと思った。


今回の上記の問題は、NHKという大規模な企業の職員であったことも炎上の1つの原因なのだろう。

404 Blog Not Found:善意の値段
また、こうした子どもたちに「投入」できる社会の「善意」に限りがある以上は、善意に訴えるものはそれが善意に値するかを常に証明しつづける必要があるだろう。移植が終わっても抗免疫剤の投与が一生必要なように。その意味で、今回の「ちゃねらー」達の行動は行き過ぎもあったが結果的に「善意の監査役」として働いたと思う。

もちろん、寄付という行為をされている以上、その収益構造は寄付者に対して情報公開する必要がある。それはNPOも同じで、法律できっちりと定められている。はてブのコメントで書かれていたが、会社が株主に対してIR活動をする必要があるように、NPOも寄付者に対してIR活動をする必要があるのだ。それは目標でも理念でもなく、法律で明確に定められた義務である。この意味では、寄付を集める人たちの脇が甘かったかなとは思う。(自戒も含めてだが)


また、「自腹を切れ」とはあるが、現在活躍しているNPOの創業者の多くが、自腹を切っている。僕も現在在籍しているNPOの創業者の1人だが、200冊くらいあった蔵書、服、CDやパソコン、売れるものは全部売って、NPOの設立資金に充てたりもしている。それは、他のNPOも大差ないと思う。


ただ、今回の炎上の問題は、そもそも根本的には「寄付」という行為そのものは一体何であるのか、という問題に起因するように思う。


私たち、NPOの多くは寄付という皆様からの援助で成り立っている。もちろん、収益構造的には寄付というものもあるし、事業を展開して自主財源を持っていたりもするし、財団や地方自治体からの助成金などもある。しかし、1つのNPOを測るにあたって、寄付をどれくらい得ているのかは、そのNPOがどれだけ多くの人から信頼を得ているのかの一つの目安にはなる。


寄付という行為を考える上で、例えば、こういうふうに考えてみてほしい。


自分の親友が事故に合った。結果、脊髄を痛めてしまい、車椅子生活になってしまった。そのため、色んな障害者問題に関心を持つようになる。しかし、自分は仕事もあるし、家族もいる。障害者問題に積極的に取り組むだけの時間も労力もない。ただ、何とか親友のために活動はしたいと思う。その時に、偶然そういった問題に取り組むNPOや市民団体とつながりができるようになる。自分は手伝ってあげることはできない。けれど、親友のためにも、何がしかのサポートはしたい。ここで、寄付という1つの行為でサポートすることができる。


別に寄付という行為を偽善や素晴らしい行為だと、非難する気も賞賛する気も僕にはない。単に、1つの行為に過ぎないと思っている。上の事例は極端かもしれないが、寄付という行為の理由は、たぶんそんなところだ。


もちろん、全員が車椅子の親友がいるなんてことはあり得ないし、「自分が障害者になった時に住みやすい社会を作るために、寄付をしておこう」なんてことを考える必要もないと思う。ただ、自分が生きている上で、何がしかの社会的な問題に関心を持った時、それがワーキングプアでもいいし、高齢者の生きがいでもいいし、障害者の生活サポートでもいいし、もしくは発展途上国の経済発展でもいい。そういった問題に関心を持った時に、あなたは直接的にはその活動に携われないかもしれない。いきなり生活の基盤を捨てて、海外に医療物資を持っていくわけにはいかないのだから。


ただ、その時に既にそういった活動を展開しているNPOに寄付という行為を通して、携わることはできるのだ。もちろん、お金を出している人=寄付者=株主として、言いたいことがあれば、言えばいい。あなたには、その権利があるのだから。


寄付という行為を特別視することなく、単に自分が強烈に関心を持った社会的な問題に、「間接的」にでも関わるための1つの行為だと思ってくれるのなら、寄付という行為を少しでも理解していただけることになるのではないだろうか。