Trans

NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

アメリカの大学生≠アメリカ人≠アルファギークな人たち

梅田さんの記事で、

アメリカのいまの若者たちは、そのことを明確に意識して、高校時代の友人たち、大学で全米に散った友人たちのそれぞれの先でできる友人たち、大学の友人たち、大学を卒業して全世界に散った友人たち、そしてまたその先でできるグローバル・ネットワーク・・・・・、そういうネットワーク全体を「自分の財産」として蓄積し、きちんと丁寧に日々メンテナンスしていこうときわめて意識的だというのである。

という記事があり、弾さんの記事にはこの内容に対して、

むしろ「アメリカの大学生」と付けているところがまだワカッテないような印象を受ける。

ということを書いていた。


この2つの記事が頭の中でグルグル回っているときに、id:jkondoさんの記事で「riya」のことを知った。で、riyaをウロウロしていると、偶然そのCEOが書いているブログを発見。英語なので細かく読むのはしんどいので、プロフィールだけをざっと見てみた。すると、ブログ以外にも個人のWebサイトを持っているよう。


http://www.munjal.com/


たぶん、riyaのCEOは名前から察するにインド人かパキスタン人あたりだと思う。そういう人がアメリカで自分たちの新規の事業を立ち上げている。そして、ものすごい注目を浴びている。


そこで、梅田さんの記事を読み返すと、僕はいつの間にか「アメリカの大学生=アメリカ人」という構図を頭の中に描いていたような気がする。でも、今更ながらだろうけど、こういう考え方はもう古い。


「アメリカの大学生≠アメリカ人≠アルファギークな人たち」なのだと思った。そういや、弾さんが記事の中で、Audrey Tangという人を紹介していたが、この人も台湾人である。


ここまでやってくると、ソフトウェアやオープンソースの開発において、シリコンバレーとか日本とか、そういった境界はますます意味をなさなくなるんだろうなと改めて思ったりした。