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聴覚障害とユーザーエクスペリエンス(日本語訳)

あなたは何度もこの質問をされたことがあるだろう。もしあなたが選ばないといけないとすれば、どちらを選ぶだろうか。耳が聞こえなくなるか、目が見えなくなるか。この質問は、難聴がある意味視覚障害とは正反対のものだという誤解を生む。それはまるで障害の2進法表現のようなものだ。難聴のためのアクセシブルなデザインというものに私たちはあまり驚かないだろう。それは同じような方法に重点を置いているからだ。どういうことかというと、音声のキャプションが非常に重要であって、それはほとんどのデザイナーにとって画像に対する代替テキストと似たようなものだからだ。

キャプション自体は単純に捉え過ぎられていて、多くのろう者はうまく使いこなせていない。ろう者に対してよりよりユーザーエクスペリエンスを提供するためには、私たちは聴覚障害というものを視覚障害の単なる正反対のものだという考えをやめなければならない。つまり、私たちは聴覚障害を文化も言語的な観点もどちらからも理解する必要があるのだ。さらに、聴覚障害者のユーザーエクスペリエンスをよりよくするためには、私たちは聴覚障害Webアクセシビリティにどのように影響するかを理解しなければならない。

小文字"d"のdeafと大文字"D"のDeafの違い

私がこの記事で小文字"d"のdeafと大文字"D"のDeafを使い分けていることをあなたは気付いただろうか(訳注:訳文ではdeafを聴覚障害、Deafをろう者と訳しています)。これは非常に重要な違いだ。その1つはデフコミュニティがどのように普通は使い分けているかだ。

小文字"d"のdeafは耳が聞こえない、もしくは難聴の人たちを意味する。しかし、デフコミュニティのことは含まない。デフコミュニティは大文字"D"のDeafを使う。それはろう文化として彼ら自身のことを意味する。

デフコミュニティは民族的なコミュニティと同じように言語的、文化的なマイノリティーグループとして位置づけられる。私たちが民族的なコミュニティや文化の名前をItalianやJewishと大文字で書くように、デフコミュニティとその文化の名前も大文字で書くのだ。身体的に聴覚障害を持つ人たち全員がAuslan(オーストラリアの手話)を使うわけでもなく、デフコミュニティを意味するわけでないので、すべての聴覚障害者、もしくは身体的に聞こえない状態の人たちに言及するときに、小文字の"d"のdeafは大文字で書くわけではない。

オーストラリア人のデフコミュニティは言語や文化、共通の経験という歴史を共有している人々のネットワークである。

http://www.users.fl.net.au/~aad/info/deafcomm.php

聴覚障害の集まり

興味深いことが18ヶ月前にWeb上で起こった。それは、聴覚障害とその障害がどれだけアクセシブルなデザインの事例に影響するのかをWebコミュニティがもっと認識するようになるきっかけを作った。

1つ目は、Joe Clarkが2006年11月にThe Open & Closed Project (OCP)をローンチしたことだ。2つ目は、そのOCPが4月上旬にCaptioning Sucks!をローンチしたことだ。

The Open & Closed Projectは聴覚障害者や難聴者のためにメディアをアクセシブルにするための2つの方法を提案している。

  • キャプションはスピーチや重要な音響効果を音声転写(transcription)すること。
  • 字幕は会話の翻訳(translation)文であること。

transcriptionとtranslationのwikipediaの定義も参考にしてみよう。

  • Transcriptionは話し言葉というリソースを書いたり、打ち込んだり、印刷したりして、その形式を変換することである。法廷審問を議事録のようにすることである。それは、すでに書かかれたリソースを異なったほかの媒体にすることも意味する。本をスキャンし、デジタルバージョンを作るようなものである。
  • Translationはテキストの意味を翻訳するという行動である。対応する文章の結果生じた生産物、いわゆる翻訳と呼ばれる行為だが、異なる言語間で同じメッセージをコミュニケートすることでもある。

キャプションと字幕は情報を届けるために書き言葉に頼っている。

音声転写のようにキャプションはスラングや話し言葉、変更箇所、しゃれを含め話し言葉や音響効果を分かりやすく書き出したものだ。以下で分かることだが、四苦八苦しながら第二言語として英語を使っているろう者や聴覚障害者にとってキャプションは非常に難しい。

訳文である字幕はろう者が使っているような手話に近い言葉を使う機会を提供する。しかし、一般的に母国語の手話は文章とは限らないということに留意しておかならければならない。

OCPとCaptioning Sucks!のサイトが注目している聴覚障害とアクセシブルなメディアは大事である。しかし、それ以上に特に、ろう者と難聴者にとって私たちにできることがあるのだ。

勘違いしないでほしい。キャプションと字幕を調査することは重要なことには違いないし、多くの人にとっても情報にアクセスする方法を改善する。もちろん、聴覚障害者だけではなく、ろう者もである。キャプションと字幕は映画やテレビ、Webなどをいろんな人にとってユーザーエクスペリエンスを改善する。例えば、騒音がうるさいところにいる人や巣箱のような狭いところにいるオフィスワーカー、移民者、イヤホンで音楽を聴くティーンたち、耳がよくない人たち、ろう者もである。

しかし、Open & Closed Projectは多くの人たちが考えるのと同じように大文字"D"のデフコミュニティのニーズに対応していない。たぶん、それは想定されていなかったのだろう。しかし、オンラインコンテンツに多くのろう者がアクセスするのを助けるために、なぜキャプションが理想的な方法ではないかを理解しなければならない。Webコミュニティがその理由を理解するまで、私たちは的確に問題に取り組むことはできないだろう。

なぜならWebコミュニティにおいて聴覚障害アクセシビリティは十分理解されておらず、私たちのほとんどはよいキャプションが問題を全て解決すると思っている。しかし、そんなことはないだろう。私たちが全ての聴覚障害者のためのユーザーエクスペリエンスをよりよくしようとする前に、聴覚障害者や難聴者、ろう者ユーザが思っているいくつものニーズを理解しなければならない。

視覚的なもの

母語の手話は単なる話し言葉のジェスチャの表現ではない。手話は文章ではない視覚空間言語である。文法や構文は話し言葉とはとても異なり、重要な意味や強調を伝えるためにかなり顔の表情というものに頼っている。多くのオーストラリアのろう者は、たとえば英語を第二言語として使うのだが、Auslan(オーストラリアの手話)が彼らの第一言語である。この理由のため、ろう者の障害よりも主にその文化を理解することが重要だ。

言語クラスのときにろうの先生が私に一度こう言ったことがある。

私たちは障害を持っていないし、また聴覚障害は障害でもない。どういうことかというと、私たちが障害を持っているという聞こえる人たちの認識そのものが私たちにとっての障害なのだ。

ろう者のユーザが障害を持っていることを考慮するよりも、彼らの国における母語が必ずしも彼らの第一言語ではないということを理解すればいい。

音声学、スラング、しゃれの現在の挑戦

言葉を基礎とした音声というものはろう者にとってどのような意味があるのだろうか。“comfortable”という言葉がこのよい例になる。しばしば見られる昔のジョークのようだが、手話の生徒のことを“comfortable”を見て、“come-for-table.”と思ってしまう。あなたはそれを見て、すばやく発音する、それは"comfortable"のように聞こえる、しかし、その文字通りの意味では“have you come for the table?”を意味する。しかし、それは“comfortable”なのだ。

もう1つの事例を考えてみよう。"once in a blue moon"というフレーズだ。これは時々や時折を意味する。文字通りにとったとき、その意味は紛らわしく、若干混乱してしまうようだ。私たちがメールやテキストメッセージ、広告などで使う言葉についても考えてみよう。私たちの速記のほとんどや口語表現の多くは音声学に基づいている。例えば、CU l8trというのは、"C"は"see"のように聞こえる。しかし、それはそのようには見えない。言葉遊びに基づくジョークも同じような問題を抱えることになる。私の好きな例を1つあげよう。

Did you hear about the prawn that walked into a bar and pulled a mussel?

このジョークを聞くと、"pulled a mussel"は「筋肉が緊張した」や「神経がたかぶったイシガイ」を意味するようだ。しかし、現実にはここでは「手に取る」や「近づく」などを意味する。ここまであなたが見てきたように、それは意味することが難しく困惑してしまうのだ。

ロスト・イン・トランスクリプション・アンド・トランスレーション

ろう者の視聴者とともに英語のテレビのホームコメディに対してアクセシブルなコンテンツを提供することについて私たちが話し合っていると仮定してみよう。

成人聴覚障害者、もしくは難聴者の視聴者のためのキャプションは完璧だ。つまり、ユーザの第一言語でアクセシブルなフォーマットでコンテンツを提供しているということだ。しかし、キャプションは音声転写ではあるけども、ろう者の視聴者にとってはそのコンテンツはあまりユーザが使わない、もしくはほとんど使わない第二言語として表示される。キャプションは今ではない方法でコンテンツをろう者によい方法で提供する。その一方で、聞くことができない人たち(聴覚障害者)と別の言語を使う人たち(ろう者)との間にニーズの大きな違いがあることを思い出されなければならない。

“What Really Matters in the Early Literacy Development of Deaf Children,” [1]*1において、Connie Mayerはデフコミュニティにおいてリテラシーのギャップがあると指摘するいくつかの研究を引用している。

しかし、聴覚障害を持つ生徒の50%は4年生、またはそれ以下のリーディングレベルで中等学校を卒業している、[2]*2 そして30%は教育ができないという理由で機械的に学校を離れているというのが今も変わらない事例だ。[3]*3

よく報告される聴覚障害の生徒たちの低いリテラシーレベルは部分的ながらどちらにも責任がある。彼らの不完全な話し言葉の仕組みと求められる読み、話すことを前提としたシステムという意味で。[4]*4

このことも心にとめてほしい、例えば、英語は全言語の中で最も多くの類義語を持っている。手話はそれに比較してあまり類義語を持っていない。手話は言葉の意味を伝えるために表情やボディランゲージにかなり頼っている。 そのため、私たちが「注意しなさい、そのパイはすごく熱いよ」というときに、もしサインを用いるのであれば、「注意しなさい、パイはすごく熱いよ」といって、更にとても熱いところをほのめかすためにはっきりとした表情で「すごく」というところを表現する。これが意味することは、あまり英語が得意ではないユーザは、特に会話(キャプション)がすばやく変わるときには、かなり集中しないといけないということだ。

故に、英語の話し言葉やそのスラングや口語的表現、しゃれなどの音声転写としてのキャプションはそれ単独ではろう者のためのアクセシブルなWebサイトを作るための完全な解決策にはなり得ないのだ。あるいは、もし私たちが字幕を採用するとすれば、私たちは文字がない言葉のために言葉が書かれた翻訳を提供してしまうことになる。(そしてそのときにも問題が横たわっている)だから、私たちは文字がない言語にどのように方法で翻訳文を提供すればよいのだろうか。私たちはキャプションや字幕を提供する代わりに、ニュース番組やドキュメンタリーでときどき見られるような手話を提供する。それが可能ではない場合も、音響効果の注釈とともに、ろう者や難聴者のための字幕はよりアクセシブルになるであろう。

ろう者のための字幕はやさしく書き直された言葉を使っている認識を持っている人がいるように見える。しかし、私は、使われているであろうサインと同等な英語は通訳者と同じようなものであるものに基づいていることをいつも理解している。もちろん、文法は英語の構文そのままだということなのだが、字幕はより多くの視聴者にとってアクセシブルであろうと思える。

では、解決策は?

多くのことと同じように、その問題をすべてを解決するための方法は1つではない。しかし、社会問題に関心があるデザイナーとして、私たちはこの課題を理解するために動いてきた。

今、私たちは問題を解決するために正当な試みをしようと思える。

Webライティング

スタート地点として、Webライティングの101のtipsに留意してみよう。それが聴覚障害者を含めより多くの人たちのリーダビリティをよくする。手話は非常にダイレクトな言語である、要点を最初に述べ、それから話題を発展させる、つまり、逆ピラミッドのように、または私たちがよく推奨するWebライティングの書き方、要はジャーナリストのような方法で行うということだ。いくつか検討事項をあげてみよう。

  • 見出しと小見出しを使うこと。
  • ジャーナリストの方法で書くこと。要点を書き、それから説明すること。
  • 1つのパラグラフで1つの要点。
  • 1行を短く。1行は7から10単語。
  • できる限り平易な言葉を使うこと。
  • 黒丸の箇条書きを使うこと。
  • アクティブな声を書くこと。
  • 無駄に専門用語やスラングを使わないこと、それはユーザの認知的負荷を増加させる。
  • 医療や法律の専門用語などの特別な用語に対しては用語集を同封すること、また簡単な言葉で書かれた定義を提供すること。

言語を勉強している人、もしくは普通のページから重要な点を探している人たちにとってもメリットがあるだろう。そして、認識障害や学習障害を持つユーザも発見しやすくなるだろう。また、すべてのWebのドキュメントにおいて、コンテンツは標準に合わせ、セマンティックで、ValidなHTMLでマークアップされるべきだ。

マルチメディア

可能であれば、Webベースのマルチメディアのための理想的な解決策は動画に表現を同期化するために提供するピクチャーインピクチャーで手話を流すことだ(訳注:NHKのように画面の右下あたりで手話でニュース内容を説明するような方法)。しかし、これは非常に時間を食うし、コスト高なプロセスになり得る。そして、手話は特定の領域には当てはまるが、ほかの方法よりもいくつかの状況においてよい方法であろう。

代りの方法としては、通訳した手話を記録し、オーディオに加えて音声転写もしくはキャプションで提供する。交互に、キャプション(音響効果を描き出すために)や字幕(ユーザの第一言語の翻訳文)の組み合わせはより効果的だ。それが可能ではない場合には、会話の音声転写でも十分であろう。音声転写はユーザに会話を印刷し、それを自分のペースで読む機会を提供する。

覚えておこう。字幕の目的は意味を与えることであって、視聴者の言語スキルをテストするものではない。 逐語的に転記するよりも音声コンテンツの感情と意味を伝えることが重要なのだ。

行動しよう。

全てのカンファレンスのポッドキャストを文字に起こし、アクセシブルなフォーマットでコンテンツを使えるようにすること。あなたの次のプレゼンを通訳し直し、翻訳を記録し、オンライン上で使えるようにすること。下記でリストアップされた書籍のどれかを読むこと。最も大事なことは、いつでも機会があれば、あなたの地域のデフコミュニティをもっと知ってみること。それがきっかけであなたが自分自身でいくつかの手話を学びたいと思ったら、きっと私は驚くだろう。

推薦図書

  • Nora Ellen Groce―Everyone Here Spoke Sign Language: Hereditary Deafness on Martha’s Vineyard (Harvard University Press, 1985).
  • Harlan Lane―When the Mind Hears (Vintage, 1989) and The Wild Boy of Aveyron (Harvard University Press, 1979).
  • Oliver Sacks―Seeing Voices: A Journey into the Land of the Deaf (University of California Press, 1989).

参考

  • [1] Mayer, C. “What Really Matters in the Early Literacy Development of Deaf Children.”Journal of Deaf Studies and Deaf Education12.4 (2007): 411-31.
  • [2] Traxler, C. “The Stanford Achievement Test, 9th Edition: National Norming and Performance Standards for Deaf and Hard-of-Hearing Students.” Journal of Deaf Studies and Deaf Education 5.4 (2000): 337-48.
  • [3] Marschark, M., Lang, H., Albertini, J. Educating Deaf Students: From Research to Practice. New York: Oxford University Press, 2002.
  • [4] Geers, A. “Spoken Language in Children with Cochlear Implants.” Advances in Spoken Language Development of Deaf and Hard of Hearing Children―Spencer P, Marschark M, eds. New York: Oxford University Press, 2006. 244–270.

訳者より一言

あけましておめでとうございます。うーん、久しぶりに訳したからか、単に専門分野とは微妙にずれているからか、訳文がgdgdですね(苦笑)

要点としては、聴覚障害といっても1つに括られるものではなく、そのニーズは大きく分けられる、単にキャプションや字幕を提供すればよいというわけではないのだ、ということです。アクセシビリティの中でも視覚障害についてはよく語られるのですが、ほかの障害にについてはあまり大きくクローズアップされません。そこで、今回取り上げてみたのが聴覚障害なわけです。

今年のブログの方向性

今年、当ブログ、TRANSはかなり更新頻度を落とす予定です。前年までは必ず週に1回は投稿する!ということを目標にしていたのですが、どうしてもこのA List Apartのような比較的大きめのドキュメントを紹介したり、訳したりする時間を確保することが難しくなりました。

そこで、あまり更新頻度にはこだわらずに、少なくとも今年はこのような大きめのドキュメントに取り組んでみたいと思っています。どうぞ今年もよろしくお願いします。

*1:Mayer, C. “What Really Matters in the Early Literacy Development of Deaf Children.”Journal of Deaf Studies and Deaf Education12.4 (2007): 411-31. [http://jdsde.oxfordjournals.org/cgi/content/full/enm020v1:title=full text]

*2:Traxler, C. “The Stanford Achievement Test, 9th Edition: National Norming and Performance Standards for Deaf and Hard-of-Hearing Students.” Journal of Deaf Studies and Deaf Education 5.4 (2000): 337-48. [http://jdsde.oxfordjournals.org/cgi/content/full/enm020v1:title=full text]

*3:Marschark, M., Lang, H., Albertini, J. Educating Deaf Students: From Research to Practice. New York: Oxford University Press, 2002.

*4:Geers, A. “Spoken Language in Children with Cochlear Implants.” Advances in Spoken Language Development of Deaf and Hard of Hearing Children―Spencer P, Marschark M, eds. New York: Oxford University Press, 2006. 244–270.