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NPOやソーシャルビジネスの創業・経営・マネジメント

ガイドヘルパーに間違えられる。

先日、電動車椅子に乗る友人と交流会に行ったことを書いた。

http://d.hatena.ne.jp/aratako0/20060318/p1

その交流会で、ヘルパーを派遣する事業者のスタッフが講演していた。内容は自分の会社の紹介やら、どんな事業をやっていて、利用者*1とどういう関係性を保つのか、そういうことだった。


その中で、そのスタッフがよくこんなことを口にしていた。「うちは、障害を持つ人とガイドヘルパーとしての関係性だけではなく、好きか嫌いか、要は一人の友人として付き合えるのかを大事にしています」とのこと。うんうん、その通りだと思う。


でも、短い講演中に何度もこの手の話を延々とする。「そんなに、自慢できる話でもないだろうに。。。」と考えながら、聞いていると、一つ思い当たる節があった。


「そうか、それって俺に向かって言っているんじゃないの?」


今、僕は車椅子に乗る友人と共に交流会に参加している。彼は、率直に言うと、重度の障害者である。その友人と一緒に来ている僕をガイドヘルパーと間違えているんじゃないだろうか。それに、僕は自分のNPOのネームプレートを首から下げていて、普通のヘルパーもネームプレートを下げていることが多いし。そのスタッフの頭の中では、「こういったところに、障害者と一緒に来るってことは、まあ彼はガイドヘルパーだろう」みたいな。


向こうがどう思っていようが、僕としては一向に構わないわけだが、そのまま勘違いされるのも癪なので、そのあとの参加者全員での自己紹介のときに、やんわりと「今日は、彼(車椅子の友人)と、あくまで友人の一人として参加させていただいています」なんてことをサラッと言ってみた(嫌なヤツだな→俺)。すると、小声でそのスタッフが「そうなんだ」ってボソッと言っていたのが聞こえた。


でも、こういう状況ってのは、よく出くわすわけだ。そのスタッフの想像力の不足はあったにせよ。例えば、若いお姉ちゃんが車椅子のおばあちゃんを押していると、やはり「ヘルパーと利用者さんかな?」なんて無意識の内に思ってしまう。ただ、今考えれば、それは孫と祖母という関係なのかもしれないのだ。


こういった思考の枠ってのは誰しもあるわけで。でも、こういうのがある程度払拭されないと、障害者だろうが、高齢者だろうが、外国人だろうが、そういった人々が普通に生活できる社会というのは、まだまだ先なような気がするのだ。

*1:今思えば、なぜ介護系の事業者は顧客と言わずに、利用者と言うのか。そのへんの意識ってやっぱりどうかと思うのだけど。